桶狭間勝利の秘密!絶対に達成できる7割で勝利を掴む英雄の決断

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英雄になれる人というのは、どんな人だろう?
決断を下す時の考え方について、英雄になれる思考回路を紹介します。

決断の時

決断を迫られた時の思考パターン

戦国時代の合戦でも、ビジネスで新規事業を起こすときでも、人が決断を下すときには2つの思考パターンがあります。

A.慎重に考える。石橋を叩く。
B.行動を急ぐ。直感的。

このAとBの間で、偏りはあると思いますが、概ねどちらかに属すると思います。

あなたは、どちらの思考パターンでしょうか。

英雄の思考パターンは?

では、ここで質問です。
歴史上、英雄と呼ばれる人は、どちらの思考パターンだったと思いますか?

英雄「織田信長」の桶狭間

織田信長は直感的だったのか

織田信長も桶狭間の戦いで、誰もが無謀だと言った奇襲を「直感的」に行動に移して大勝利をおさめました。
明智光秀は、本能寺の変を「直感的」に実行して、織田信長を倒しました。
でも、その後、中国から「直感的」に大返しをして帰ってきた豊臣秀吉に敗れて命を落とします。
「石橋を叩いて渡る」タイプの自分にはできない。
英雄というのは凄いなと思っていました。

しかし、本当にそうだったのでしょうか。

信長は、10倍もの今川軍に対して、夜間の奇襲による野戦を仕掛けます。
家臣は籠城を進める者ばかりだったようです。

歴史的な内容は、このブログでは記載しませんが、今川軍の動きは詳細に掴んでいたようです。

その情報を得ながら、織田信長は孫さんと同じように考えていたのではないか。
すなわち、「今の状況で、何割の確率で勝ちを得られるか」ということ。

信長の中で、何割の成功率で勝負に打って出ると決めていたかは判りませんが、その条件を満す瞬間を待つと同時に、その瞬間を絶対に逃さないための情報網を引いたのではないでしょうか。

そして、その条件を満たし、急ぎ出陣し、機を逸し無かったのではないかと思います。

奇襲=勝率が最大になる手段

戦後、信長は情報網を成功させた「簗田出羽」という家臣を、この戦いの勲功の第一としています。 義元の斬り、その首級を挙げた服部小平太・毛利新介らの勲功は第二としたのです。

情報を手に入れ、出陣した時点で、信長の思った勝率は満たしていたので、今川義元の首が取れたのは、勝率を忠実に実行したことであり、本当の勝利の立役者は、その勝率を作り出した「情報」だったということでしょう。

奇襲≠直感

信長の桶狭間を例にしましたが、大勝利に導いた奇襲は「直感」によるものではなく、信長の中での勝算があっての行動だったのだろうと思います。
少なくとも籠城に比べると、良い結果を得られるとの判断があっての決断だったのでしょう。

勝利を得るためにどう行動するか

直感だけで行動することの危うさ

「凄いアイデアを思い付いた!でもリスクも大きい。」そのとき、A、Bそれぞれの人はどう行動するでしょう。
私はこう考えていました。
Aは確実にそのアイデアを実現することは無い。
Bはそのアイデアを実現するが、9割の確率で失敗する。でも1割の確率で成功を掴む。

英雄というのは、Bの中から1割の確率で生まれるのだと考えていました。

勝利を得るためには

ビジネスで新規事業を起こすときでも、人が取る行動のパターンは2つとかきました。

A.慎重に考える。石橋を叩く。
B.行動を急ぐ。直感的。

行動をする瞬間はBに見えても、英雄達は常にAの思考力を持っていたのでは無いでしょうか。

自分の中での基準を持ち、慎重に考え、最善の結果を得られる確率が高くなる状況を待ち、作り出し、行動に移すということこそが、成功の鍵となります。

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